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    このブログについて

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    このブログは、サブブログです。あと、メモをなどを書くブログです

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    K/K=1 青春の詩集 [Kindle版]

    K/K=1 青春の詩集

    K/K=1 青春の詩集

     

    20170224

    日記とかまとめ

    おはようございます!

    加藤圭一郎@Under The Sky|note

     

    投稿した

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    これは、書き損じたような。まぁいいや。

     

    noteフォロー整理。約1800から1000くらいに。

    もう少し考えたい。

     

     偶発的に始まった特定の対象をからかう書き込みが、場の空気・雰囲気に押されてオフラインでの人間関係に影響しうるまで加速するケース。反映度は低いが影響度は高い。

     ネットいじめ - Wikipedia

     

     私がライブをする必要性は現在そんなに高くはない。

     

    誤解を招きそうな表現をしてしまいました。
    > 私がライブをする必要性は現在そんなに高くはない。
    主に即興を演目としてやっていて反固定化は原動力の一つであって、作曲をめざすということで、内面的な部分で反固定化から固定化に移動しなくてはいけない、抜けたところをどうしたいいかみたいな内面的な問題を抱えていたりします。
    安定が必要なのかもしれませんし、そうでもないかもしれません。結構自分自身で客観視するのは難しい部分です。
    要するにどうしたらいいか悩んでいて出てきた言葉の一つってところです。あと、時間とお金の配分の問題もありますね。

     

     

    「ネットいじめ」、「スマイリーキクチ中傷被害事件」、「川崎市中1男子生徒殺害事件#ネットでの影響」、「少年犯罪#少年犯罪者の個人情報」、および「炎上 (ネット用語)」も参照
    インターネットが普及した1990年代以降、主に2ちゃんねるなどの電子掲示板やTwitterなどのSNS・特定のホームページ上において、特定の個人を名指しして個人情報(当該人の電話番号や住所・実名・本人の写真・家族構成など)を晒し出したり、名指しで批判や暴言を投稿している場合がある[5][6]。対象はいじめの相手・掲示板やSNSで炎上した一般人・犯罪を犯した容疑者・暴言や失言及び不祥事を起こした芸能人を含む著名人など多岐にわたる。特に凶悪な犯罪を起こしたとされる少年は少年法によって個人情報が報道されない[7]ことから、正体探しや個人情報暴露の対象になりやすい傾向にある。また、少年法によって成人より刑が軽減されたり少年院送致など短期間で社会復帰が可能な可能性があるため[8]、それらに不満を持つ民間の一般人が個人情報などを漏洩することが多い。犯罪被疑者の個人情報の流出行為については「このような犯罪を行っており(流出は)やむを得ない」「再発予防と抑止力につながる」といった賛成の声が多く上がっている一方、「ただの集団リンチじゃないのか?」「刑が確定するまで、犯罪者ではない(推定無罪)」「世論を代表する制裁者を気取っている」といった疑問の声も上がっている[9]インターネット上の個人情報拡散については名誉毀損に当たると指摘する弁護士もいる。また、「間違っていたら大変」・「やめたほうがいい」との反対や慎重な意見もあり、 その信憑性に疑問を持つ声も存在する。

    私刑 - Wikipedia

     

     

    20170223

    8:03

    私に自由というものがあるのだろうか?

     

    私が孤独感を感じるのは仲間内でわいわいするのが得意ではないからだと思う。

    ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化

    ハイコンテクストとローコンテクストの違い

     

    noteを再開した。初めたのは2014年だったっけ?

    加藤圭一郎@Under The Sky (underthesky)|note

     

    確認した

    2014/4
    note.muでの活動を開始
    https://note.mu/underthesky/

    https://note.mu/underthesky/n/naea537aae627

    時はだいぶ経った 2014/4 note.muでの活動を開始 https://note.mu/underthesky/

    楽譜を演奏することと「代替されることの恐怖」

    2013年12月14日

    楽譜を演奏するための練習というのがあまり好きでなくて、考えていたのですが、一つ、見えてきたものがありまして、「代替されることの恐怖」ですね。

    アナリーゼでき、演奏技術があれば、自分でなくてもよいという。演奏者としての恐怖がいつもそこにあるのです。

    だから、即興演奏するし、それを楽譜に書くことはない。分析されて代替されることの恐怖だからです。

     

     

    楽典―理論と実習

    楽典―理論と実習

     
    いちばん親切な楽典入門 CD付

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    15-11-27 音楽と芸術に関するメモ  フルクサス、オノ・ヨーコ、ジョン・レノン、ジョン・ケージ

    メモ

    フルクサスジョン・ケージと関わりがあり、
    また、「芸術家」としてのOno Yokoとも 関わりがある

     

    追記
    Wikipediaより
    "オノとケージの関わりは、ニュー・スクールでのケージの有名な実験的作曲法の授業の生徒だった一柳慧との関係を通してのものだった。"

     

    追記
    ジョン・レノンとOno Yokoの出会いはYokoの現代芸術の個展を行っていたことがきっかけであり、
    ある意味日本の芸術家としては最も有名かもしれない。
    (そういうところではYoko以前からレノンは現代芸術の影響を受けている可能性が高く、Yokoがいなくても、ビートルズの解散やその後の方向性(平和活動で芸術家達と交流する機会ができたであろうことは、想像に難くない)については変わらなかった可能性がある)

     

    Wikipediaより
    "フルクサスは自らの「イベント」を「ハプニング」と区別していた。「イベント」は、スコアに基づき、特定の行為を明確に行うもので、日常的な物を芸術の舞台に持ち込み、その垣根を壊し、日常に芸術的な物を持ち込ませるという反芸術的な意図を持っていた。"

    スコア=Score=楽譜

    菅野よう子楽曲演奏団体 Thanks!Kオーケストラ第3回演奏会 参加します!

    参加します! よろしくお願いします!!
    パートはトランペットです。


    公式WebPage

    菅野よう子楽曲演奏団体 Thanks!K 公式ウェブサイト


    演奏会:Thanks!Kオーケストラ第3回演奏会
    日時:2015年11月28日(土) 12:45開場 13:30開演
    場所:神奈川県立音楽堂
    演目:今回はエスカフローネがメインです!(参照)
    料金:1枚500円(当日券1000円)
    支払:当日、チケット売り場でチケットと引き換えにお支払いください(現金のみとなります)

    第1部 アラカルトステージ
     ・Power of the Light(プレンパワード)
     ・Dog Fight(マクロスプラス
     ・ごちそうさん交響曲ごちそうさん
     ・アクエリア舞う空(アクエリオンEVOL
     ・Princess Chris(大航海時代

    第2部 エスカフローネステージ
     ・DANCE OF CURSE
     ・FLYING DRAGON
     ・THE STORY OF ESCAFLOWNE~END TITLE
     他多数

    他にも魅力的な菅野楽曲を多数演奏予定です! お楽しみに。

     

    天空のエスカフローネ

    天空のエスカフローネ

     

     

    id:koya2014宣言 批准

    id:koya2014宣言を批准する。

     

    id:koya2014宣言 - koya2014's blog

     

    <宣言文>

     

     ゼロ年代と呼ばれたこの十年、日本はデフレで物があふれたが、希望より絶望を多く生み出した。そして、福祉はそういう意味ではなにも生み出せなかった。できるのは文章をプリントアウトして精神科へ持って行くのみである。そして、向精神剤が処方されるのみだ。ただのたらいまわしである。回復までの道のりは自分の足で・・一回砕け散ったその足で探しまわる必要がある。また立たなければいけないのだ。

     

     今、われわれの目の前に広がっているのは、腐った魚のような目をして電車に乗っているサラリーマンや絶望をインターネットでまきしらしているメンヘラたちである。

     欧米を真似た資本主義による成功。そして、その金によって作られた乱立したビルの中では、殺気立った罵声ばかりが聞こえる。そんな風景があるのみである。そこで生み出されるのは希望ではなく絶望である。綺麗な美しいブランディングをしたWeb Pageの、オフィスの裏側にはそんな風景が広がっている。

     

     この風景は、ゼロ年代の幕開けによってつきつけられた、社会への問い(「監視社会」「無宗教」「無縁社会」「新興宗教」「自殺」・・・)から徹底的に目を背け無化することによって成立している。

     ゼロ年代に入って、ますますわれわれの生活を変容させた情報化の推進は、あろうことか精神において、日本と世界の格差を埋めるものとしては機能しなかった。

     朝、電車が飛び込み、人身事故で電車が遅れようとも、それが人が死んだということをアクチュアルに感じるものがいなくなってしまった。現に私もそうである。

     精神科医は「向精神剤」に充足することで、患者の「情報」から目をそらし、ナマな文化の営みに身を晒さない。健康に対する研究をしている学者は教授という権威で身分を保証され、無根拠な疑似科学によって広告を出し、変な食品や本を売ることで、小器用な職人として金稼ぎをしている。

     

     ゼロ年代の間、私は地上に姿を表さなかった。なぜなら地上は街は、人がいるのにGHOST TOWNとかわりないからだ。そこにはゴミひとつ落ちていない。私のGARAGEではゴミは落ちている。おかしいではないか。

     Google2chmixiFlickrニコニコ動画YoutubeTwitter。そこは地上によってもたらされた絶望とその叫びがコミュニティというアーキテクチャ・インフラクチャーによって造成され、まとめサイトという形で絶望が増幅されていた。

     そこでは常に、膨大な匿名性による想像性が渦巻き、叫びともならない叫びばかりがこだましていた。にもかかわらず、年に三万人自殺し、政治家も福祉も精神科医も誰もそれを止めることが出来なかった。

     人間の内面はアーキテクチャのような工学的なものでは満たされないということがよくわかったのだ。

     さらに、「無敵の人」なるものまで生み出した。ゼロ年代は害ばかりが作られてきたのだ。

     

     そこで私は再び現れようと考えた。目と、耳と、口をつぐんで暮らしていたが、そうすべきではないという結論に至ったのだ。

     人間には人間による暖かさが必要なのだ。人間に希望を与えるのはAIでも機械でもない。人間だ。人間によって作られたアニメや絵や小説や文章、言葉。それらは、温かみがあり、あらゆるアーキテクチャはその媒介物でしかない。

     

     とはいっても、どんなに文章を書こうとも、何と言おうとも、私id:koya2014はただ一人の匿名の一人でしか無い。とても無力だ!否定することは出来ない重要な事実だ!そこで、私の模倣者を探している。もちろん、私自身もあるメッセージを見た模倣者でしか無い。

     この思いを共有してくれる人は、辛かったり、苦しそうな人をインターネットで見たら励まして欲しい。この宣言文を読んでいる諸君、そして淑女達への要求はただそれだけだ。簡単な事に思えるが、案外、難しい。今日の日本のネットではな。だから、私は道化なのだ。

     私はあるとき友人を亡くした。自殺だ。私の友人の数を数えるのは片方の手で足りる。それなのに、自殺を止めることが出来なかったのだ!!

    子供を蹴っていてもそこにいる人間が止められない社会になってしまったのだ。禅の魂があると言われた日本は何処へ行った!!

    最後にもう一度言おう。この思いを共有してくれる人は、辛かったり、苦しそうな人をインターネットで見たら励まして欲しい。

     

     私、id:koya2014はようやく、ここに姿を表す。

     ある匿名の気のある書き込みに情熱を晒して、一、模倣者として新しいインターネットのあり方を模索して。

     

     

    以上